JBマスターズシリーズの最終戦である野尻湖戦が終了しました。
会社を辞めてから初めての試合ということで、練習も沢山出来たし、トーナメントシャツも無地のパーカーにゼッケンのみという、なんとも新鮮というか、初心に戻って臨んだ試合となりました。
結果は準優勝。惜しかったとも思いますが優勝とは少し差のある2位でしてので、満足です。
野尻湖は一番館さんでいつもお世話になっています。石田社長、奥さん、シースピメンバーの皆さん、長谷川さん、皆さん良くしてくれて、安心して試合に集中出来ます。
思えばこの縁もティムコ時代に与えて頂いた機会があってのこと。試合で使ったロッドやワームの一部もティムコ時代に作ったものでした。
自分を育ててくれたティムコさんには改めて感謝します。ロッドを貸してくれた宮腰さんにも感謝!
詳細は追ってレポートします。
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新会社での仕事もそれなりに頑張っておりますが、今年から通い始めた印旛沼がなかなか楽しいのであります。
自宅から下道で行けるっていうのも交通費を抑える意味でも良し。なによりも雰囲気が好きなんです。
今の日本のフィールドで、ボートで釣りができて本格的なアシ打ちが楽しめるフィールドは貴重です。関東では牛久沼が代表的でトラディショナルなフィールドですが、マイボートの持ち込みが難しい(というかトレーラーは無理、エンジン使用も不可)。
マイボートはふないちさん、アサヒナさんで揚降可能。超シャロー連続なうえに、漁網や沈みものも多いので、初めての際は要注意です。 奥行きのあるアシ、フリッピングはもちろんのこと、夏場や増水した時にはウエッピングも必要なフィールドって実は全国的にも少ないんですよね。霞ヶ浦はマッディシャローという点では共通しているけど、アシは奥行きがほぼ無いし、ジャカゴのインサイドの水生植物を打つとか、流入河川を遡っていくとかしないと、なかなか本格的なアシ打ちを楽しむことができません。むしろ、消波ブロックとか、水門なんかを打つほうが多いですね。
利根川とかも概ねアシはしょぼいというか水深がないところが多く、それゆえ好条件のアシはたまに火を噴くんだろうけども、ウエッピングとかそういうことにはなりませんな。
その点で言うと、印旛沼はマイボートを下ろすことができるし、春先はアシの新芽、パラアシスピナーベイトで引くとか、春はスポーンを意識したアシ中を打つ、夏は奥、枯れてきた秋は再び巻物、って感じで、眺めれば単調に見えるアシを、隅々まで釣りつくす楽しみがあります。
夏に釣ったナイスサイズ。後ろに見える背の高いアシのチョイ奥からラッシュクローのテキサスリグでキャッチ。 ヒシモにアシ、その手前にはブレイクライン。沈船や捨て網など沈みものも多く、バスのポジションを探るのが楽しい。この日はカバーの奥ではなく手間のブレイクライン上に浮いているバスがクランクで好反応でした。 最近のアベレージはこんなサイズ。25~35cmが数釣れるフィールドになっています。順調にいけば数年後はさらに楽しめる?? 水はお世辞にも綺麗じゃない(むしろ汚い)ので、クリアレイクのような癒しはないし、夏は逃げ場がない暑さと、アシしかない単調さが難点ではありますが、シャローカバーゲームを楽しむならオススメのフィールドですね。バス釣り以外にはボートはほぼいないし、ヘラ釣りのおじさんたちも割と好意的です。
印旛沼にはNAB21(成田エアポートバサー)という団体や千葉チャプターなどローカルルールを決めて釣り場を守っている地元アングラーの皆さんがたくさんいます。印旛沼でバスフィッシングを快適に楽しむことが出来るのは彼ら地元アングラーのおかげですから、私を含めた新参者、よそから訪れるアングラーは、しっかりとローカルルールを把握してから出船したいものです。
都市部から近い割にはアングラーは少なく、フィールドの規模はそれなりにあるので、激混雑のストレスも少ないですし、近年は数が釣れる(時がある)し、グッドサイズも出ます(たまにね)。アプローチの精度、タックルバランス、フッキングからランディングまでの動作の正確さなど、パワーゲームの中にある繊細さ、奥深さを楽しむことができる稀有なフィールドだと思います。
家族で午後から釣りに行って、子供の面倒見ながらでもこのサイズがドカンと出る。要所で繰り出すベイトフィネスやライトリグもまた楽しいです。
ティムコを退社しても当然ながら仕事は続けていかなくてはなりません。
1年以上前から悩んで悩んで、そして決意したこと。それは「自分たちでやろう。」ということでした。
釣り業界以外への転職も考えましたが、前回のブログでも書いたように、そもそも釣りの仕事がしたくて、バスフィッシングに関わる仕事がしたくて選んだ道でしたから、結論はおのずと決まりました。
19年余のティムコ在籍期間のうち、17年近くをフェンウィックロッドの企画開発、バスルアーの企画開発に従事してきましたから、経験もノウハウも蓄積されていました。開発についてはほぼひとりで行っていましたし、工場への出張、視察、なども全てを担ってきましたから、そういった点での経験値も蓄えられていました。
フェンウィックロッドが好きな気持ちは今も強く持っていますし、今まで造ってきたロッド、特にここ数年のアイテムに関しての出来には強い自信があります。それでも決断した理由、それは数年前からの大きな流れ、というしかありません。
2009年に起きた契約プロの不正事件で、フェンウィックというブランドも、それを背負うプロの皆さんも、そしてティムコの皆さんも、大きく傷つきました。自分の人生が他人の行為によって左右される歯がゆさ、悔しさは今も思い出されます。
あの時以降、沢村さんが先頭に立って、北さんや山岡さんを鼓舞してくれたから、彼らがまさにそのトーナメントの現場で踏ん張って、好成績を残してくれたから、少なくとも僕は前を向くことができたし、ともに戦っていく気持ちになれました。
2009年のエリート5で北さんが優勝、2010年、2011年とクラシックを沢村さん、北さんが連覇、2012年には山岡さんがトップ50初優勝、そして2013年、僕がトップ50の試合に帯同を始めた年でいきなり沢村さんが遠賀川を圧勝、北さんが北浦戦を制し、年間優勝を飾りました。もちろん、プロの皆さんが素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれた結果なのですが、自分にとって、「ああ、これは一区切りつける、そういう流れなんだな。」と思いました。
「ティムコに入社した時も、これから起業するときも変わらないのはバスフィッシングへの想い。趣味でもあり仕事でもある、まさにライフワーク。その想いを反映したモノつくり、会社運営をしたいと思います。」 そして時を同じくして、同様に達成感とともに次のチャレンジを模索する仲間と出会いました。
彼は競合他社でもあり、フェンウィックブランドにおいてはビジネスパートナーでもあったピュアフィッシングジャパンの開発担当でした。
マミヤオーピー時代からロッドの生産や開発に携わっており、ピュアフィッシングジャパン発足後にファンタジスタシリーズの開発担当として、多くのプロスタッフの要望に応えるロッド作りを行ってきました。その道のりは決して平坦なものではなかったでしょう。個性の強いプロたちの要望に応えていく難しさは僕も容易に想像がつきます(苦笑)。外資系企業であるが故の厳しい数字の管理もあったことでしょう。ABUと言えばリールのイメージしかなかった時代から、ファンタジスタシリーズを人気ブランドにまで成長させた立役者の一人であることは間違いありません。
2012年、2013年のタックルオブザイヤー(ルアーマガジン誌企画)において、青木さんのDeeZが1位に輝いたとき、裏方として立ち上げから関わってきた彼の中でも、一つの達成感を持ったようです。
彼の名は飯高博文。実直な仕事ぶりと、海外工場相手にも物怖じしないタフさ、ロッド開発の豊富な知識と経験は一流です。彼が僕をパートナーとして認めてくれ、僕自身も彼を信頼することで、我々は新しいスタートを切ることが出来ました。
飯高のパワーもあって、海外生産工場を含む多くの方からサポートを受けることができでいます。すでにいくつかお仕事もいただいており、OEMビジネスとしても少しずつ動き始めています。
新会社の名前はレジットデザイン(LEGIT DESIGN)。レジットとは英語で本物を意味するLEGITIMATEの略で、スラングです。「本物、質が高い」といった意味で使われます。「すげえな!」とか「ホンモノじゃん!」とか、「素敵だ!」とか、まぁそんな感じで使われます。
「レジットデザイン(LEGIT DESIGN)は我々のモノづくりへのポリシーであると同時に、戒めでもある。」 ロッド作りに従事してきた二人が立ち上げる会社ですから、作り手としての思想、本当にいいものを作る、という思いで社名を決めました。いい道具が売れるわけではない時代ですし、実際は経験値のない人が開発をやってたり、それが売れることがある世界でもあります。当然、会社としては売れなきゃ明日がないわけですが、それでもポリシーとしては「イイものが売れる」ようにするために努力して行きたいわけです。
我々は資金力も無いし、強力な宣伝力も今はありません。バスフィッシングを取り巻く環境は厳しく、業界規模は縮小の一途と言えます。
それでも敢えて起業する意味。それは自分たちの理想のモノづくりを追うことであり、今まででは出来なかったことを成すためです。意思決定を早め(二人しかいないし)、釣りの現場、生産の現場、販売の現場を肌で感じながら歩んでいきたいと思います。目の前には荒野が広がっている感覚ですし、既存の他社さんに負けそうなことばかり見出してしまうこともありますが、一度しかない人生ですから、整地された道ではなく荒れた脇道を行くのも一興でしょう。まさにWalk On The Wild Sideですね。
最初はレジットデザインブランドのロッドを発表する予定です。現在サンプル作製中ですので追ってその詳細はお知らせできるかと思います。
ブランクの素材、アクション、価格、などなど、飯高も僕も日々喧々諤々やりながらLEGITなものを作っていきます!
このブログは完全放置していましたので、あまり見られていないのですがご報告を。
19年余にわたって勤務してきた株式会社ティムコを昨日をもって退社いたしました。
この場をお借りして、在籍中にお世話になったすべての方に御礼申し上げます。本来ならばお会いしてごあいさつしなくてはならない方もいらっしゃいますが、このような形でのご報告となったことをお詫び申し上げます。
思えばティムコでの大半を開発業務に費やしてきました。フェンウィックロッドは私が高校生時代に初めて手にした時から、憧れのブランドであり続けていました。
大学卒業を控え、釣り業界とは無縁の所謂有名企業に内定をもらったものの、どうしてもその憧れと、自分のバスフィッシングへの情熱を抑えることができず、偶然にも新卒の募集をしていたティムコの採用試験に応募。採用を決定していただいた当時の役員の皆様には、感謝の言葉しかありません。
数年の営業経験を経て、開発課に配属されてフェンウィックロッドを担当することになったときの喜びと興奮と、不安感は今も思い出すことができます。現在ケイテック社長の林圭一氏がティムコを退社されて以降、ブランドとしてもロッドの出来としてもフェンウィックは危機に瀕していたタイミングだったと思います(バスブームの終焉手前で、売上は良かったですが)。
フェンウィック自体もブランドホルダーが変わり、工場が中国工場へ移転するタイミングということで、その業務は想像以上に苦しいものでした。
今とは違い、ブランドホルダーであるピュアフィッシングには日本法人がなく、工場側にも日本のバスフィッシングシーンを知る者はいませんでした。さらに言えば、ティムコ社内にも誰もバスフィッシングに本格的に取り組む人もなく、ロッド開発のノウハウすら皆無でした。
ただひたすらに工場へ足を運び、自分の理想とするイメージを伝え、バスフィッシングの動作、なぜこういったアクションが必要なのか、なぜこのような品質でなければならないか、を工場に理解してもらう作業を繰り返しました。時にはテーブルを強くたたいて怒ったこともありますし、ロッドのウェイト1g削るのに深夜まで議論したこともありました。
出来上がったロッドたちは、その当時の私が持てる力を全て注ぎ込んだものばかりです。振り返ってみればやり直したいこともありますが、その瞬間瞬間はベストを尽くした結果なので、恥じることも悔いることもありません。
自分自身がトーナメントに出れば、プロの言うことがもっと理解できるのではないか、もっと自分がうまくなれるのではないか、そうすれば良いロッドを作ることができるし、宣伝もできる、あわよくば勝てる・・・なんて目論見でトーナメントにも積極的に参戦しました。もちろん自分自身が楽しいからこそ続けることができたわけですが、会社の理解とサポートは絶大なものでした。
フェンウィックのシャツを着て試合に出ることの喜び、誇り、重圧。開発アイテムに合わせて出るカテゴリー、フィールドを増やしてみたり(多いときは年間20試合くらい出た)、多くの選手から刺激やアイデア、アドバイスを頂いたり。ロッド開発において非常に大きな役割を果たしたのが、トーナメント参戦でした。だからこそ、今も戦うトーナメンターの気持ちはわかるし、応援していきたいのです。
「思えばトーナメントシャツも色んなバージョンを着させてもらいました。個人的には黒の刺繍バージョンが一番好きです。」 多くのプロスタッフとの出会いもありました。
言うまでもなく、Mr. fenwickである沢村幸弘さんは、私の恩人であり、師だと思っています。お会いして間もないころ、「歳はいくつになった?」と聞かれ、「30歳(たぶん)です。まだまだ若造です」と言ったことを答えたら、「俺は28歳でキャリルを始めたぜ。これから鬼形がティムコの鬼形のまま行くのか、鬼形が~している、と思われるようになるのか、考えていかないと。」と言われたことが、今回の決断につながっているといっても過言ではありません(沢村さん本人は覚えてないと思いますが・・・)。
たくさん同船させていただきました。オールスター、ワールドシリーズ、いろいろなフィールドでたくさん教えていただきました。昨年の遠賀川戦での優勝は、心底嬉しかった。自分の中で今回の決断をほぼ固めた年でしたから。おそらくプロスタッフが優勝して、その現場に立ち会って、僕が大泣きすることは二度とないでしょう。
いまでも、沢村さんのロッドを作ってきたことを誇りに思いますし、正直言えば、沢村さんが僕の作ったロッド以外を使うことに違和感があるのも事実です。それでも「自分の人生だから」と背中を押していただいたことには感謝しかありません。
「遠賀川戦圧勝の記憶も強烈だが、それ以上に昔からの何気ないアドバイスなどが思い出されます。」 北大祐さんは付き合った年数こそ短いものの、一緒に過ごした時間は最近では間違いなく長いスタッフです。最初はどこか陰のある、なんとなく斜に構えた感のある彼が、力をつけてついにはトップ50の年間王者に上り詰めた過程を最も身近に見てきました。中国のトーナメントにも出たし、マスターズではいつも相部屋で泊まってました。マスターズの優勝も、AOYも、トップ50初優勝も年間優勝も、現場で立ち会うことが出来ました。とにかく釣りの話をたくさんできたし、楽しかった。
「中国で開催されたLTWトーナメントに参加。ジャッカル、シマノチーム、ルアマガ編集長との珍道中でした。」 「JBトップ50年間優勝、北浦戦優勝、七色ダム戦優勝、マスターズAOYなど多くの勝利の現場に立ち会うことが出来ました。ホント、うれしかった。」 山岡計文さんは最も短い付き合いですが、気さくな人柄と、なによりも天性の釣りセンスが魅力的です。七色ダムに行って、彼の生まれ育った環境を見れば、その全てが納得できました。今年の七色ダム戦のレポートには、地元に行ってみてわかる彼の生き様、プロとしてのありようを思いを込めて書いたつもりです。持てる才能はまだまだ開花しきっていない、未完の大器である彼の今後を見続けていきたい、そう思うスタッフです。
「池原、七色ダムではいつも衝撃的な釣りを見せてくれました。まさにナチュラルボーン・アングラーだと思います。」 琵琶湖ガイドの平村尚也さんは、もともと友人としての関係が先にありました。今となってはJBを去り、それぞれのステージで活躍している多くのトーナメント仲間の一人です。JB2桧原湖シリーズでパートナーとして年間優勝を果たし、その後は琵琶湖の人気ガイドとして、公私にわたって僕を応援してくれました。テスト中とは言え、たくさんのビッグフィッシュを釣らせてくれました。
「2001年にはJBII桧原湖でペアを組んで開幕戦優勝&年間優勝。お互い若いなぁ。フェリーで参戦してましたね、平村氏・・・(画像拝借 from NBC NEWS)」 市村直之さん、小島宏さん、庄司潤さん、国保誠さん、吉田幸二さん・・・・。他にも多くのスタッフさんとバスフィッシングという共通言語でお付き合いすることが出来ました。その全てが僕の財産であり、大切な思い出です。
契約スタッフが不正で除名になるという、悲しい事件もありました。必ずしもすべてのスタッフと円満にお付き合いできたわけではないでしょうが、たくさんのことを学ばせてもらいました。その機会を与えてくれたティムコの皆様にも感謝の言葉しかありません。
多くのショップの方々、そしてフェンウィックを愛用してくださるユーザーの皆様にも、御礼申し上げます。
これからは、仲間と共に会社を立ち上げて、自分の持てるノウハウをすべてつぎ込んだロッド作りに邁進したいと思います。会社名は
「LEGIT DESIGN (レジットデザイン)」 新会社の詳細は後日改めてこのブログでもご紹介させていただきます。
開幕戦を制したのは昨年度年間王者の北大祐選手でした。
決勝は氷雨が強く降る中での短時間勝負。北選手は人数が減った決勝(30名のみ)を踏まえて、敢えて大場所を朝一に選択し、モーニングバイトをものにすると、会場近くの、これまた大場所へ入り、リミットメイク。2日目のビッグフィッシュ一発とは対照的な展開で単日5位。攻めと守りのバランスがとれた、クレバーな勝ち方でした。
おめでとうございます!
地元の期待と声援を一身に受けて優勝目指した山岡計文選手は、最終日ガマンの展開。リミットメイクこそ逃したものの、単日8位となるウェイトで表彰台確保の4位。七色ダム開催に向けた下値準備や地元開催の重圧と戦いながらの結果ですから、誇って良いと思います。とくに
2日目のリミットメイクによる捲りはさすがと唸らせるものでした。
沢村幸弘選手自身「予選落ちを覚悟してた」と言う程に見えていなかった試合ながらも、耐え忍んで13位入賞。年間争いに加わって来るでしょう!
2位の山木選手は3日間でわずかに4匹のウエインながら、サイズが他を圧倒しての準優勝でした。3位の市村選手は昨年から試合ごとの安定感が増してきているように感じます。年間争いの軸のひとりになることは間違い無いでしょう。
詳しいレポートは会社のホームページに書く予定ですので、お楽しみに。